何かの為にやるのか。

今日は、お休みでした。
朝からパン2種類焼いて(1個失敗したけど)、本の続き読んだりして、ゆっくり過ごしてたんだけど、どこか心有らずな一日。
心が晴れない。なんだかやる気が出ない。

食事もダラダラしちゃって、買い出しもなんだか心がどこかに行ってる。

昨日作ったビスコッティを無心に食べたり、食事もただ食べた。感じることもなく、ただ口に入れた感じ。


2〜3日前に、「私ってとても幸せだ」って言って眠ったのに、すぐにこの有り様になっている。

お金に困っている訳でもなく、病気でもなく、仕事に悩みがある訳でもない。


焦っているのかな。
何者にもなれてない、平凡で地味な自分に焦っているのかな。




8月の末あたりから、2ヶ月間SNSをやめて、瞑想する時間を作ったりしたおかげで、生きるのが楽になったし、「全てある」という感覚が徐々に分かり始めてきた。

そう、2〜3日前もそうだった。
「焦る必要なんてなくて、何かを得ようとしなくていい、全て最初から持ってる」って感覚があって、すごく安心して、感動して、今自分の周りにいる人とか、今まで起きた出来事に感謝するくらいの状態だった。

もう、怖いものなんてないんだっていう気持ちもあったんだよ?


でも、今日はその真逆にいるような、何も困ることはないのに、「どうしよう、どうしよう」って不安になってる。

自分の選択行動が、全部ダメなんじゃないかとか、こんなんだから変われないんだって、自分を責めるような囁きも聞こえる。


あーーー、今日は全然満たされなくて、過食してしまったなーーー。


自分は無力だーーーーーーって感じる。
どうしたもんかな、こうゆう時は、早く寝たほうが良いかな。


何も気力が沸かない日に罪悪感を感じてるのかもしれない。焦ってるのかもしれない。こんなことしてたら、みんなに置いてかれるよ。いつまで経っても夢なんて叶わないよって。

やり遂げた人は、みんな努力してる、黙って努力してる。コツコツに敵うものなんてないんだよ。みんな頑張ってる、さぼっちゃダメだ、今日も何かを進めないと。

骨の髄まで頑張り教の馬鹿者ですね、これ。

休むこと、だらだらすること、止まること。サボること、これをすると、猛烈に罪悪感を感じ、取り返すかのように焦りだす。

休みたい、サボりたい体と、叩き起こそうとする脳味噌。2人の狭間でぎゅうぎゅうになるシンドイ心。

向いてる矢印もバラバラで、心への圧もすごい。

そういえば私、圧を感じる人が物凄く嫌いなんですけど、心がギュッとなるからだろうね。それに、自分がいつも圧をかけてたのかもしれない。窮屈な思いをさせていたのかも。



頑張って夢を叶えた人のストーリーって好きだし、感動するけど、別のところで「頑張ることは素晴らしいこと」と強化させてる気がする。

続けること、頑張ること、耐えること、そんなことがまだ自分の中で美徳として存在してる。

そうなると、自分のストーリーにも「頑張る」シーンは必要になってくる。それを自分で課して、突破して夢を掴み取ろうとしてるのかもしれない。

「私は、頑張って耐えて、続けて、夢を掴み取った特別な人間です。素晴らしい人間です」って言いたいみたいだ。こんなひけらかす形でしか、自分の力とか才能とか信じてあげてないのか、わたし。



思い出そう。
私は、なんでお店をしたいの?
「ワクワクうきうきして、最高に楽しそうだから」

お店をだすのが目的ではなくて、「ワクワクうきうき楽しい」が目的なのだ。今からできるね。お店を持つことは手段でしかない。今からできるね。

お店を持つ為に焦る必要はないね。欲しいのは、ワクワクうきうきだから。

だいじょうぶ、過食した日でも、罪悪感に埋もれた日でも、そんな選択をした日でも、今日の平瀬ひとみは最高でしたよ。




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