自分の時間を取り戻す
いま、思ったんだけど、私の記事って日記として書いた方がもっとしっくりくるんではないだろうか。
何となく今まで、タイトルだとか記事のオチを意識していたんだけど、ここに書きたいことって日常の自分の心の動きや、グルグル回る思考を落ち着かせたいってのが1番で、毎日生きていく中で、みんなに伝えたい事、訴えたい事なんてそんなにないことに気がついた。
ただあるのは、成長が見えないような自分の思考だけだったりする。
何が言いたいんだっけ?ではなくて、特に言いたいことはないけど、吐き出したい欲はある、スッキリしたいのだ。だから、何が言いたいのかを、みんなにわかりやすく説明すること自体、無駄なのかもしれないし、余計に書けなくなる気がする。
私は、趣味はたくさんあるのに退屈な毎日で退屈な人生だってよく思う。何でだろう。私は20代の頃、仕事をコロコロ変えていて、続かないことに悩んでいたんだけど、実は退屈な日々を打破するための、無意識の作戦だったのかもしれないと思うようになってきた。
もちろん、人間関係や仕事内容が理由だと思っていたけど、退屈な代わり映えのしない日常に刺激を与えるため、自分から問題を作り出していたりして!なんて思った。
仕事だけでなくて、引越しもよくやってる。私1人だけで、いろんなところを割と短いスパンで移動してる。友人に、「忙しい人生だね」って言われたこともあったや。退屈なんでしょう、きっと。引越しとか仕事変えるとかで、大きな緊張を自分に与えて楽しんでいるのかもしれない。緊張するの嫌いとか言いつつ、病みつきになってるのかもしれませんね。
というのも、今も仕事が退屈になってきた。暑くなってきたってのもあって、少し体力的にシンドい。「ここにいるべき人間ではないんだろうな」ってまた思い始めた。また始まった。でも、実際に7時間の拘束は結構キツイし、8時間寝て、7時間仕事行くけど、移動とか準備で実質8時間くらいで、残りは8時間、疲れて帰ってきてのボーッとする時間も必要だし、食事や洗濯、お風呂も入るとなると、自分の時間ってすごく少ない。ノってきたところで、ハイ寝る時間。
同僚たちは私より長い時間働いてて、子供もいたりするけど、難なく何年も働いてる。そりゃ文句もあるだろうけど、辞めるまでに至ってない。生活があるのもわかるけど、それを狂わずにできている時点で、私と感覚が違うんだと思う。
私は甘えてるのか?現実を直視せず憧れや夢をずっと語ってるのか?みんなは、そうは思わないのか?毎日、今日どうにか合法的に休めないか?みたいなクズみたいな事思ってないの?毎日台風が来て、学校も仕事も休みになれば良いのにって昔からずっと思ってる。そしたら家で好きなことできるのにって。たくさん寝れて、映画いっぱい見て、焦らずゆっくり過ごせるのにって。
仕事が楽しくないわけじゃない、行ったらそれなりに楽しいんだよ。でも、行かなくて良いなら行かないかな。
生活のために割り切って今は働いてるつもりだけど、よくこんなことを思うから、全然割り切ってないんだと思う。ボーナスがあったり、強制的にルーティンを作れたり、それなりにメリットもあるんだけど、自分の心を押さえる拘束時間が1日に多過ぎる感じもする。
自分を見失うのよね。自分何してるんだろうって。
今日は休みだから、自分の時間を取り戻したい。そんな事を昨日の夜から考えてた。
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