自己受容→自己肯定
金曜日の親知らずの抜歯で、今週末の私は、眠気と痛みとで、夕方まで寝巻きという怠惰な日を過ごしています。
痛み止め飲んでるけど、切れたらまだ痛くって、食事も出来るけど、食べにくいからめちゃくちゃゆっくり食事して、薬のせいかずっと寝て、なんか久しぶりに追われない時間を過ごしてる気がします。怠惰だけど、心は罪悪感がない。良い調子だ。
13日のHITOMI times にも書いたけど、メンダルがめちゃくちゃ落ち着いてきて、復活してる。
そういえば、先週FacebookとTwitterを辞めたんだ。もう、良いかなと思ってね。
そうそう、メンタルが回復してきた理由は、実はHappyちゃんの事を思い出して、動画を見てたら、色んな事を思い出して、自分が自分にとても厳しい事や、人生の中で楽しさがなくなってることに気づいたから。
頑張って、我慢して、手に入れる。
手に入れられないのは、努力が足りないからだ。
この考えを、数年前に改めたつもりだったけど、今でもやってて自分で自分の首を絞めていた。
結局、私たちは、お金を得たり、恋人と楽しく暮らしたり、仕事で上手くいったりしたいのは、「良い気分になりたい」ってだけだったんだっと初めてわかった。今やっと府に落ちた。
お金も恋愛も仕事も「良い気分になる」為のツールでしかない。
それに、未来も過去も「今」の連続でしかなくて、「今」っていう点々を繋げた時に未来や過去が生まれるだけだから、いかに「今」を心地よく生きるか、安心させるか、良い気分にするかが全てなんだと。
いつも思うのが「我慢」が材料なら、出来上がるものは「我慢」なんじゃないかなって。
昨日仕入れた情報を私なりに解釈してシェアするね。
人には感情のプールというものがあるらしく(これは心理学)、悲しみや憎しみ、罪悪感や無価値観などをプールの中に貯めていくらしい。嬉しいとか楽しいとかの感情も入る。
日本人は我慢強いらしく「怒り」という蓋をしながら、どんどんプールに消化できなかった感情を貯めていく。すぐ泣く人やすぐ怒る人はプールがいっぱいで溢れてる人なんだって。
それで、それで、「毎日がつまらない」「人生がつまらない」「自分の好きなことが分からない」「何か変えたいけどどうして良いか分からない」って人たちの最初のプロセスとして
「自己受容」→「自己肯定」の順番でのアプローチが必要になってくる。
この2つの違いなんだけど、「本当は〜」の後に続く言葉が、過去か未来かで見分けるんだと。
「本当は言いたかった」など過去の文章がきたとき、これは自己受容で、そのままの感情をジャッジせずに、そうだったんだねと認めてあげることで感情のプールから出してあげる、もしくは溜めずに消化する。「何が好きか分からない、何をして良いか分からない」って人はこの作業をもっとやってあげてね。とのこと。
ちょっと、混乱してきたぞ?
「本当はゆっくりしたい」とか未来の文章が来たとき、これは自己肯定で、自分の本当の望みを知り、そうなんだねと認めて、その時できる限りで望みを叶えてあげる。
さっきの感情のプールでは、奥底に「〜したい」の自己肯定が沈んでいて、上に「〜したかった」の自己受容がある。だから、自己受容を取り除いてあげないと、自己肯定は見えてこないのだ。
ちょっと説明がうまくできなかったけど、人間って楽しい思い出よりも、些細な悲しかったことや辛かったこと我慢したことの傷が、自分の重りになってる事ってあって、向き合わないまま生きてると、自分を否定しながら、もしくは無理やり肯定しながらとか、間違ったものの捉え方をして、正しい選択ができないと思うんだよね。そしてまた、傷ついて重りが増えていく。
私も昔は、したい事が分からないし、「〜して欲しかった、でもしてくれなかった、だから私は被害者だ。」みたいな考えしか出来なかったんだけど、1歩進んで2歩下がるみたいな、出来てるのか分からない自己受容をしてたんだけど、今ではリトルひとみが心の中にいて、基本的に「いいよ」ってしか言わなくなりました。
でもさ、まだ厳しさというか、頑張ったら結果が出るみたいなのを信じてるから「ゆっくりでいいよ」「休んでいいよ」みたいな言葉が出にくかったんだけど、色々動画や生き方のことを改めて考えたら、すごく吹っ切れたというか、そうかだから苦しかったんだって分かってめっちゃご機嫌になりました。
休日にごろごろして一見、生産性のない自分に「それでも大丈夫だよ」って言えたら、少しでも安心してホッと出来たなら、この日はとてもいい日だと思う。
もっともっと、自分と対話したい。自分の心を軽くしてあげたい。そんな事を思った休日でした。
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